私は虫眼鏡を使わずに『エクス・ポ』が読める 

4月8日のエントリー(id:hidexi:20080408)では、ペドロ・コスタの新作『コロッサル・ユース』とヤング・マーブル・ジャイアンツの同名のアルバムとの関係を示唆しただけだった。先月末に発売された雑誌『エクス・ポ』第3号に掲載されているコスタ監督のインタヴューを読むと、やはり関係は大ありだった。YMGのアルバム・タイトルにインスパイアされて映画のタイトルを決めたと監督自身が語っている。映画『コロッサル・ユース』(これは英語タイトル)のポルトガル語タイトルをそのまま日本語に訳すと「青年よ前へ向かって歩け」となるそうだが、この政治的スローガンみたいな感じが嫌で悩んでいた或る晩、コスタ監督の自宅に積み重ねられたCDの山の中にあった、15年〜20年くらい聴き直していなかったYMGのアルバムが目に入ったのだという。

このアルバムのインナースリーヴに載っているモニュメントの写真と、映画のチラシにも使われたヴェントゥーラの立ち姿が似ているでしょう。これは意図的にやったものです。私の映画のタイトルには常に重要な意味があります。(中略)ゴダールが「映画の題名はひとつの財産である」と言っていますが、実際、タイトルは映画そのものの存在に、あるひとつのトーンを与えるのではないでしょうか。タイトルを耳で聞くことで何かが喚起されるという考え方が好きなのです。(p.1) 

『血』や『骨』といったコスタ監督の作品タイトルは、短いけれどたしかに喚起力がある。映画のタイトルで私の好きなものを挙げたら切りがないが、中でもロバート・アルドリッチ監督『キッスで殺せ(Kiss Me Deadly)』(1955年)は決まりすぎていて痺れる。「キッス」といえば、万田監督の『接吻』を2度目に見に行ったとき、上映後に黒沢清監督と万田監督とのトークショーがあって、そこで黒沢監督が、まず『接吻』というタイトルがいいと誉めると、万田監督は、タイトルの発案者は仙頭プロデューサーで、『くちづけ』というタイトルは増村保造の有名な映画があるし、『キッス』というのもちょっと違うので『接吻』にした、と語っていた。

Eingya

Eingya

ボストン在住の keith kenniff によるソロ・プロジェクト Helios のアルバムをHMV渋谷店で購入。わたせせいぞうの絵のようなジャケットを見て、てっきり日本人のアルバムだと思ったが違った。アコギとピアノと電子音によるドローンな音空間。だが今の私の身体はこういう音を必要とはしていないようで、ピンとこない(でも6曲目はよかった)。マキノ雅広『侠客列伝』(1968年)をシネマヴェーラ渋谷で見たてきた直後だからだろうか。CDをもう二枚買ってきたのだけれど、まだ聴いていないので。