Colossal Youth 

このあたりで何か書いておかないと、少しはまとまった時間ができるはずの8月まで更新しそうにないので(それはそれでかまわないのでしょうが)、純粋雑記ということで。
Colossal Youth (Dlx)
前回のエントリーにつながる話題として、ペドロ・コスタの新作『コロッサル・ユース』が5月24日から渋谷のシアター・イメージフォーラムでロードショー上映される。このフィルムのタイトルを聞いて、Young Marble Giants のアルバム Colossal Youth (1980) を思い出す人も少なくないのではないだろうか。私はこのアルバムを、大学生のときに友人のジャリにLPからカセット・テープに落としてもらってよく聴いていたのでした(ブリジット・フォンテーヌのアルバムと同じく)。若い頃パンク・バンドをやっていたというペドロ・コスタだから、このフィルムとYMGとの間に何らかのつながりがあるとは思うのだけれど、それを示す情報は今のところ得ていない。というわけで、久しぶりにYMGのあのスカスカでダサかっこいいポスト・パンクを聴きたくなってしまい、しかしジャリに落としてもらったあのカセット・テープが見当たらないので、再発されたCDを買った。ライナー・ノーツを見ると、このバンド、ウェールズカーディフで結成されていたのだった。RW研関係者は必聴ということで。それはともかく、この音楽、なつかしさを喚起するところはもちろんあるが、それだけではない。これは中毒になる音だ。

定本 柄谷行人集〈4〉ネーションと美学今回は純粋雑記なのでだらだらと続けると、だいぶ前に届いていたラカン派の雑誌 umbr(a) (2007) をながめていたら、kojin karatani, “World Intercourse: A Transctitical Reading of Kant and Freud” が掲載されていてちょっとびっくり。ラカン派の雑誌(コプチェクやティム・ディーンがファカルティ・アドヴァイザーを務めている)にカラタニとは。カラタニのこの英語論文、「死とナショナリズム」のダイジェスト版のようにも思えるが、日本語版を修正しているところもあるようだ。きちんと比較していないので、単なる印象にすぎないけれど。

最後に、ご存知の方も多いだろうが、大西巨人を特集したTV番組が放映される(たぶんNHKで、13日22時〜23時30分に)。