テュ・エ・スュペール、マリオ!
大和屋竺監督『愛欲の罠』(1973年)@一角座。
公開時のタイトルは『朝日のようにさわやかに』。長らく所在不明だったこのフィルムの原版が日活の倉庫から発見され、ニュープリントで上映されると聞けば、観に行かないとバチが当たるような気がして…。
主人公の殺し屋ホシ(荒戸源次郎)が、ライフルの照準器を覗いて狙いを定め、標的の人間を射殺することは、殺し屋が弾丸を介して標的に触れること、つまり殺し屋と標的とを隔てる距離を一瞬だけ無効にすることに等しいが、これは、瞳でスクリーンに触れようとする観客の(不可能な)欲望をスクリーンの上で実現することでもあるのではないか。こうした小理屈は、このフィルム自身に組み込まれている。というのも、エンディングの映画館のシーンで、真っ白なスクリーンの前に立つホシが、一人客席に座る組織のボス(=この映画を観ている私たち観客)に向かって狙いを定め、その額を撃ち抜くのだから。観客の不可能な欲望の実現は死を意味するという、観ることと距離をめぐる省察を、フィルムが反照する。映画をめぐる、観ることのアレゴリー?*1
まぁ、そんな小理屈はともかく、これは実に楽しいピンクな活劇だ。冒頭の、ビルの建設現場のクレーンから地上の標的を狙撃するシーンからしてカッコいいし、アメリカから来た組織の幹部が日本語を話しているのに下手な英語で話しかけ、間違って「ファッ○して!」と言ってしまうおバカな中川梨絵もキュートだし、博多弁の殺し屋とホシとの対決シーンのわけのわからなさも素晴らしいし、絵沢萠子の無形文化財並の肌理細かい喘ぎ声も相変わらず蠱惑的だし、何よりも、大きな腹話術人形を連れた倒錯的殺し屋マリオの不気味さが圧倒的だ。人形を連れて殺し屋やってるのは勝手だが、とにかくあんなに気持ちの悪い声で笑わないでくれ。
マリオよ、あんたは最高だ。