「君が傲慢なのは正しい」 

昨日26日、ペドロ・コスタ監督の『血』(1989年)と『溶岩の家』(1994年)をアテネ・フランセ文化センターで。平日の16:50からの上映にもかかわらずほぼ満席だった。いつも以上に若者が多かったのは春休みのせいか。とはいえ、コスタ監督の次のようなパンクな発言を想い出すと、監督が(一部の)若者に支持されるのもわかる気がする。『ペドロ・コスタ 遠い部屋からの声』(せんだいメディアテーク、2007年)所収の蓮實重彦氏との対談でコスタ監督は、映画の出発点であると監督が考えるアメリカ古典映画(とりわけフリッツ・ラング作品)は、(ハイ・アートと比べて)どこか下級の、私たちのための、真に民主主義的な芸術であり、小津のフィルムもそうだと述べてからこういっている。

それらの〔ラングや小津の〕映画は、自分がある種の生き方をしていることにたいして、正しいと言ってくれる映画だったのです。私は当時〔二十歳の頃〕、傲慢で無礼な人間でした。小津や溝口、ラングの映画は私に「君が傲慢なのは正しい、横柄なのは正しい」と言って私の当時の生き方を認めてくれるようでした。このように重要な若い時期に一生残るような感銘を与えてくれる映画や人がいる。それが私にとって小津やラングだったのです(20頁)。

そんなペドロ・コスタの長編第一作『血』は、ラングを、そしてニコラス・レイフィルム・ノワール(特に『夜の人々』)を彷彿させるものだった。冒頭、いきなりクローズ・アップで写る主人公の顔が平手打ちされ、切り返して今度は逆光で父親の顔のアップ。背景に不吉な雲が垂れ込めるモノクロームの映像世界に、私たちはこうして否応なく引きずり込まれる。 


 『溶岩の家』はフィルム・ノワール的世界から一転して、『ヴァンダの部屋』(2000年)への萌芽を示すカラー作品。リスボンの工事現場で大怪我をして意識不明となった出稼ぎ人夫が、その男の故郷、旧ポルトガル領のカーボヴェルデ島(西アフリカ)へ搬送される。そこに付き添う看護婦マリアーナ(イネス・デ・メデイロス*1)は、予想外に長く島に滞在することになる。まさしく、溶岩と貧困の異世界に迷い込んだアリス・リデルといった風情だ。ここから先は、ストーリーがあってないような、マリアーナを中心に展開する、島の人々をめぐるドキュメンタリー・フィルムの様相を呈する。そういえば、このフィルムの冒頭のショットは、火山が爆発し溶岩が流れ出るドキュメンタリー・フィルムであり、それに続くショットは、(画面のつなぎからして)火山を凝視する島の女たちの顔のクローズ・アップだった。その女たちの顔はどれも(その中に一人だけいた白人女性は「女優」の顔をしていたが)、島の「風土」が刻印されたような顔つきで、ジャ・ジャンクーパゾリーニの映画に登場する素人俳優を思わせる。だからマリアーナに向かう島の男たちの欲望は、ドキュメンタリー的に「自然化」されているともいえるわけで、それを裏打ちするかのように、このフィルムにおいて交接は、ベッドの上や部屋の中においてではなく、波が打ち寄せる砂浜や地熱を発する岩山の斜面など、つねに戸外において「大地」に触れるかたちで行われている。いや、交接ばかりではない。マリアーナの場合、「眠る」場所さえベッドではなく(ソファで眠るシーンは一度あったが)、ほとんどがハンモックであったり、例の地熱で暖かい砂地の上だったりするのだ。このように、マリアーナ自身が「自然化」の過程にあることを思うと、風に揺れながら水平に枝葉を広げた大木を背景にして、病院として使われている平屋のヴェランダにマリアーナが佇むショットの目も眩むほどの美しさは、「自然の風景」の美しさと等価であるようにも思える。だが、この映画の論理はそこに違和を持ち込む。エンディングに近いところで、それまで真紅のワンピース(これがじつに似合う)を着たきりだったマリアーナが身体を洗い(上半身裸のマリアーナの後姿をキャメラは窓の外から捉えるのだが、これなども「覗き」のドキュメンタリー性を感じさせる)、映画の中で初めて白いシャツに着替えると、今まで眠っていた男の「文化的欲望」がマリアーナを襲うのだ。この作品のコスチューム・プレイの論理(すなわち文化の論理)が「自然化」の過程にずれをもたらす。しかし映画はそこで終わらない。このフィルムのエンディングは、文化による自然の切断は自然による文化の切断でもあり、この両者の反復=継続こそが島の人々の「生活」であり「現実」であることを教えている。 
この島の現実の過酷さは、そのまま撮影現場の過酷さでもあっただろう。そんな厳しい状況下でスタッフを統率し、過酷で美しい35ミリ・フィルムを撮り上げてしまうペドロ・コスタ監督は、その不敵な面構えが示すとおり、いまでも倫理的なまでに「傲慢で横柄」であるに違いない。

〈追記〉ペドロ・コスタの初期の三作品『血』、『溶岩の家』、『骨』を収めたDVDボックスが4月下旬に紀伊國屋書店から発売される。『ヴァンダの部屋』のDVDはすでにレンタル可。

*1:『血』と『骨』(1997年)にも出演しているこの女優について、コスタ監督は「自分の女性的な面を体現している」と語っている。だからというわけではまったくないが、メデイロス先生の、華奢でありながら芯の強さを感じさせる容姿、立ち居振る舞いはそのすべてが美しい。