山田五十鈴を讃えて

マリヤのお雪


『マリヤのお雪』(1935年)は、ジョン・フォードの『駅馬車』(1939年)に先駆けて、モーパッサンの「脂肪の塊」を翻案した映画で、舞台は西南戦争中の薩摩辺り。といっても、フィルムの後半は原作から離れ新派劇の要素が色濃く出ている。田舎芸者のお雪(山田五十鈴)とおきん(原駒子)に救われながらも二人を侮蔑するスノップたちの醜悪さが描かれる前半から、負傷した官軍の将校をめぐる新派的メロドラマである後半への、奇妙な移行が気になる。 

この奇妙な移行を印し付ける或るショットが不気味なほどすばらしい。二人の芸者のおかげで危機を脱した一行が船に乗るとき、すでに船上にいる「紳士淑女」が「このような汚らわしい女どもとは同船できない」と、山田たちの乗船を拒否する。そのとき、河岸に取り残された山田と原を、ゆっくりと上下に揺れる船中のカメラがミディアム・ショットで捉える。このカメラの視線は、揺れる船中から山田たちを嘲り見ている「紳士淑女」の視線に同一化しているので、真正面からカメラを見つめる山田たちは、恩知らずな乗客たちを睨んでいることになる。二人の芸者は言葉にならない怒りと悔しさから、身動き一つせずにカメラ=乗客を見つめているのだが、このミディアム・ショットがゆるやかに上下に揺れることによって、ショット自体が芸者のパトスの波を体現しているかのように見える。そしてこの(離別・分離の)ショットは、見栄と打算による保身を第一とする「世間」から、女の自己犠牲に終わる新派的悲恋物語の時空間への移行を、見事に印してもいるわけだ。 

それと、面白いのは銃による戦闘シーン。溝口が銃撃シーンをどうやって撮るのだろうと興味津々だったが、やはり溝口だった。修業僧に扮して逃亡する兵士が、暗い杉林の傾斜地を下って逃げる。それを追いかける官軍が斜面の上の明るみから銃撃する。ときどき反撃しながら木洩れ日の斜面を降りて行く兵士をカメラが上からロングで捉えると、斜面の下の遠方の明るみからも官軍の兵士たちが上ってくる。溝口らしいこの明暗のコントラストと空間把握によって、活劇ならではのサスペンスがスクリーンに漲る。

乗り合い馬車のシーンの奇妙な間や、官軍将校が酒を飲んでいる部屋(和室を洋間として使っている)の隣の部屋のベッドがカメラのフレームに入ってくるときの見事さや、注目すべき細部はいろいろあるのだが、何と言っても、当時十七、八歳の山田五十鈴の存在の強度が凄まじい!もちろん、このフィルムの翌年、1936年に撮られた2本の傑作、『浪華悲歌』と『祗園の姉妹』だけからも、山田の凄さは十分わかるのだけれど、『マリヤのお雪』のような「ちょっと変な」映画の中でも、その佇まいだけでスクリーンを「強度の高原」にしてしまう山田五十鈴を観て、身も心も痺れた。不世出の「女優」だと思う。 

そういえば、大西巨人氏が「長年の山田五十鈴ファン」を自認している。興味のある方はこちらをどうぞ。