ドーラ!

今日から後期の通常業務開始。午前中会議一つ。午後に会議二つと学生ミーティング(というのがあるのです)。そして17時から組合の団体交渉。執行委員長なのでしゃべりまくるが、いつもより抑え気味。罵声も発せず。なぜかといえば、団交のあと余力をもって新文芸座@池袋の「溝口健二特集」に行かねばならないから。といっても、使用者側の合理性に乏しい回答には反論せざるをえず、予定外のエネルギーを消費する。風邪による熱が微熱の域を超えているような気がするが、「知恵熱に違いない」と自らを説得しつつ地下鉄に乗り現地到着。二本立てで、一本目の『残菊物語』は開始時刻に間に合わないので途中から入って、今日の目当ての二本目『マリヤのお雪』をじっくり観ようという近未来地図を描いていたら、『残菊物語』は上映開始からすでに30分を過ぎているので中途入場はできないとのこと。どうするんだよ、『マリヤのお雪』上映開始まで2時間近くもあるぞ。心身ともに、バッティングセンターに行く状態でもないので、仕方なくロビーで微熱とにらめっこしながら読書。で、読み終わったのがこれ。

あるヒステリー分析の断片―ドーラの症例 (ちくま学芸文庫)

あるヒステリー分析の断片―ドーラの症例 (ちくま学芸文庫)

一部フェミニストには評判の悪い本だが、患者ドーラの語る夢の細部、彼女の表情、仕草に対して鋭敏に感応・官能するフロイトの触手の繊細さとねちっこさには舌を巻く。これ、明らかに文芸批評家・文学研究者に求められる資質だろう。ド・マンのいう「読むこと」を考えるならば、このフロイトの本は必読書だと改めて思った。Mahony 本も読まないと。特に面白いのは、フロイト逆転移を予感して戸惑っている以下のくだり。

私はこの娘に治療を続けさせたほうがよかったのだろうか。もしそうしていれば、私はある役割を演じることになり、彼女が来診し続けることが私にとって実際以上に大きな価値をもつことになってしまっただろう。そして、彼女に対して心の込もった関心をいだくことになっただろうが、しかし、それは医師の立場からの関心であるとして、いくらそれを緩和したところで、やはり、その関心は彼女の切望する情愛の代替となってしまったことだろう(168頁)。

それにしても、頭のいい女子高生がこの本を読んだらなんて思うのだろう。このエロじじいかわいいじゃん、なんていうのかな、っていうのは100%私の妄想。 
『マリヤのお雪』についてはまたあとで。