冬がまた来る 

「風が冷たくなって、冬のにおいがした」(原曲キーで)せいなのかどうかわからないが、最近、死んだ人たちのことを思う時間が、つまり追憶のなかに身を置いている時間が長くなっている気がする。だから、『TOCHKA』の松村監督が引用するブレヒトの以下の一文が身に沁みる。

42.6.21
このあいだの夕刻、玄関の戸の前に立って愛犬リグルズを撫でてやっていた、というよりは掻いてやっていた時、もやの中にオリオン星座のようなものが見えたように思い、ふと考えた。――死んでしまった人に対して感じていたやさしさを、特定の人間や動物に、とにかく今生きているものに移しこまねばならないだろう。そうすることで生者は――しばし――この世を去っていったものたちの善行に報いることになるのだろう(『ブレヒト作業日誌』(上)566頁)。

追憶は、未来へと向かわねばならないのだろう。だから『TOCHKA』のあのエンディングは、私としては実はちょっと不満なのです。 
ところで、先日赤坂の某所で食した「鍬焼き」なるものは美味であった。失業しないうちにまた食べに行こう。これこそ「未来へ向けての追憶」だ。(ぎゃふん)

The Secret distance of TOCHKA

The Secret distance of TOCHKA