『彼方からの手紙』

以下、id:shintak さんへの応答です。
吉永が2回コンビニにいって2回とも会計せずに買い物カゴを置いて店を出てしまうところ、引っかかっていたのですが、「未来と未来性」という視点で見ると「日常性の脱臼」と読めるわけですね。なるほど。
この作品、さらに重層化されるのは、ゲーセンのシーンで、少女が吉永=父親とのつかの間の交流を自分の作った物語として友だちに語っているだけでなく、その物語のいくつかのヴァージョンが映画そのものとして提示されているところだと思います。そうすると、少女の視点−吉永の視点という対立と、現実−幻想という対立における4つの項が相互に入れ替わりながら対立そのものが溶解していくことになって、あの素晴らしい階段のシーン(降りる少女−現実・幻想と昇る家族−幻想・現実との並存)につながっていくような気がします。エンディングの雪を見て、ジョイスの “The Dead”の、「生者の上にも死者の上にも等しく降る」雪を思いました。この雪のシーンの前に、少女と父母がかつて住んでいた部屋の中で雪(のようなもの)が降る場面があるのが効いてますね。黒沢清が広告文で「鈴木清順」と言っているのは、たぶん瀬田なつき作品のこのシーンのことだと思いますが、この雪(のようなもの)を降らせるタイミングと照明がまた素晴らしい。この映画、2回目3回目に見るときは、エンディングの場所から遡及的に見てしまうので、羽田空港近くの草地で二人がじゃれ合うシーンですでにウルウルしてきます。これ、「繰り返し見ろ」というベタメッセージではないので、念のため。とにかく、この映画をごらんになって時間の無駄にはならなかったようで、安心しました。
ちなみに、瀬田なつきの最新作はこちらです。
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夕映え少女 デラックス版 [DVD]

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