官能の帝国


正月早々、締め切りのプレッシャーと前未来的喪失感に耐えかね、元気ロケッツの「Heavenly Star」を聴いても元気になった気がしないので、やむなく(ホントにやむなく、です)シネマヴェーラへ。『壇の浦夜枕合戦記』(神代辰巳、1977)と『江戸川乱歩猟奇館 屋根裏の散歩者』(田中登、1976)を見る。

神代なのだからもちろん普通の歴史物であるはずはなく、鎧をつけた源氏の侍が平家の女を連れて歩く夕暮れ時の砂浜は、『恋人たちは濡れた』(1973)の砂浜を否が応でも想起させ、ということは『オトン』などのストローブ=ユイレ作品のように、『壇の浦夜枕合戦記』は現代を舞台にして過去の歴史を語っているような気さえしてしまうのだけれど、神代が狙っているのはやはり歴史というよりも女が変貌する瞬間で、途中の台詞のやりとりにはうんざりしてしまうこともあったにせよ、建礼門院(渡辺とく子)が騎乗位になって「目覚める」瞬間にはぐっときた。

田中登は、密室と戸外、閉ざされた空間と開かれた空間とを連結=切断する際の呼吸が見事だとあらためて思った。ただ、『屋根裏の散歩者』で少々不満なのは、覗き覗かれるという紋切り型の関係性が安定してしまっていて、覗く側(石橋蓮司)が感じているはずの、「自分も背後から〈他者〉に見られているかもしれない」という気配から生じる不安が考慮の外に置かれていること。しかし、ごめんなさい、そんなことは田中登は百も承知だった。覗き覗かれ覗かれ覗き、というゲームの安定性は、関東大震災によってラディカルに破壊されるのだから。大震災に関する当時のニュース映像が挿入された後の、おぼこな女中が一人生き残り、胸をはだけたまま井戸水を汲んでいる広々とした廃墟は、物語の切断という出来事(歴史)を空間化したもののように見えるけれど、密室の物語はじつは地下水のように潜在していて広大な廃墟に連結されている。エンディング・ショットの、手押しポンブが吐き出す井戸水を見てそんなふうに思った。

元気ロケッツ I-Heavenly Star-(DVD付)

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