パストラルの考古学、マルクス、ハイデガー  

昨日22日、第8回レイモンド・ウィリアムズ研究会@日本女子大学に参加。William Empson, Some Versions of Pastoral (1935) のChap.1 Proletarian Literature に関する河野真太郎さんの発表を聴く。

Some Versions of Pastoral (New Directions Paperbook ; 92)

Some Versions of Pastoral (New Directions Paperbook ; 92)

第1章を読んだだけでこの本について確たることが言えるわけではもちろんないが、この第1章の原形を訳出した雑誌の一つである『新英米文学』のことなども含めて、いろいろと面白かった。エンプソンが「プロレタリア文学」や「パストラル」と言う場合の批評上のコンテクストについて(河野さんの論文ネタになるようなので、具体的に言うことは控えます)、また、日本の雑誌に訳出されたこの章と当時の日本の左翼運動との関わりになどついても、今後の研究の展開が楽しみだ。この絡みで、エンプソンが東京帝国大学で教鞭を執っていたときに(1931年から3年間)教えを受けた方々に取材できないものだろうか、なんていう話もでた。より詳しくは id:shintak さんのご報告をどうぞ。(それからid:malaniek さんとこちらもどうぞ。さらにid:drydenianaさんは上記の方々とはまた違った視点から報告されています。)

私としては、エンプソンに関する論述を含むポール・ド・マンの “The Dead-End of Formalist Criticism” を再読して、ド・マン(および彼の「世代」の知識人)がいかに若い頃ハイデガーマルクスにいかれていたか、そして戦後ド・マンがハイデガーを批判しながらもハイデガーに(おそらくもっとも)近いところにいたのではないかということ、にもかかわらず両者の「微妙だが決定的な違い」に固執し続けることが近代(そしてポスト近代)批判の要なのではないかということ、等々を改めて「直感」できた点は、今回の予習の副産物だった。

Blindness and Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism (Theory and History of Literature)

Blindness and Insight: Essays in the Rhetoric of Contemporary Criticism (Theory and History of Literature)

もう少し詳しく言うと、河野さんもハンドアウトに引用している “The Dead-End” の240頁で、ド・マンはエンプソンの主張を「マルクス主義思想は偽装されたパストラル的思考である」とまとめ、マルクス主義とパストラルは、(エンプソンにとっては程度の違いはあるが、そしてこの「程度の違い」が或る意味決定的でもあると思うのだが)矛盾、分離、疎外といったものの解消・解決を目指すという点において同じであると断じる。(この部分、河野さんの訳文を使いたいのだけれど、ご本人の許可をとっていないので控えます。)そして、詩(パストラル)による疎外の解消とマルクス主義による疎外の解消を、「忍耐」が欠けていると言って批判しつつ、両者は矛盾しながらも共に「我々の世代 our generation」を魅惑していたとド・マンは言う。面白いのは、ド・マンがここに註をつけ、『ヒューマニズム書簡』(1947年)でハイデガーマルクスに言及している部分を引用していることだ。(以下の引用におけるハイデガーの文章は渡邊二郎訳による。)

ハイデガーの以下の見解は、こうした(詩=パストラルによる疎外の解消とマルクス主義による疎外の解消との)一致を裏づけこれに光を当てるものである。「世界の運命は、詩作のうちで予告されている。(中略)故郷喪失が世界の運命となる。それゆえに、この運命を、存在の歴史に即して思索することが必要である。マルクスが、ある本質的でまた重要な意味において、ヘーゲルを継承しながら、人間の疎外として認識した事柄は、その根を辿れば、近代的人間の故郷喪失のうちにまで遡るのである。(…)マルクスは、疎外を経験することによって、歴史の本質的な次元のなかに到達したわけであるから、それゆえに、歴史に関するマルクス主義的な見方は、その他のあらゆる歴史学(historicism)よりも優れているのである。」(ハイデガーからの引用は邦訳79−80頁。) 

疎外の解消、矛盾の解決という点でのパストラルとマルクス主義との一致を述べるのに、なぜわざわざ註でハイデガーを引用するのか。おそらく、ド・マンがさらりと「我々の世代」を魅惑した、と語っているのは、詩とマルクス主義であると同時に、近代の疎外の(最終)解決としてのナチズム=ハイデガー哲学なのだ。*1 詩(ヘルダーリン)とハイデガーの結びつきは当然として、そこにマルクス主義が合流した(「近代の超克」という)大きな流れに、「我々の世代」は賭けていたのではないだろうか(ちなみにド・マンは1919年生まれ)。ここで俄然興味が湧いてくるのは、ド・マン自身「若い頃影響を受けた」と語っており、戦前は The Psychology of Socialism(1926年、ドイツ語)等の社会主義関係の書物を著しながらファシズムに加担した(ド・マンの)叔父Henry de Man(1885-1953) の存在だ。ド・マンを論じるなら、この叔父さんの著書を読まねばならないことは前からわかっていたのだが(ドイツ語を一から勉強し始めた理由のひとつもそれだ)、目の前の仕事に追われてなかなか思うようにいかない。それはともかく、上の引用からも、ド・マンがヒストリシズムを否定していたのではなく、歴史をハイデガーマルクス経由でラディカルに考察していたことがうかがえる。以上のような観点から、「ド・マンと歴史」というテーマで何か書けたらと思う(ただし7年計画で)。「先進国」ではこの手の論文がどんどん出てきているので、7年後には何も言うことなくなっているかも。*2

*1:「我々の世代」という匿名性の中に紛れて、ド・マンはこの註で密かに告白=自己批判をしているのかもしれない。しかし、そう推測するのはやはり、例のスキャンダルを知る者の、それこそ後知恵だろう。

*2:私の職場ではありえない話だけれど、もし1年の研究休暇がもらえるなら、この論文は3ヶ月で書けると思う。それだけ「研究者」の日常は研究とはかけ離れているということ。でも、それは身分や職場による。雑用が多くなる代わりに授業2.5コマでいい、という天国が今の日本に存在することを昨日の飲み会で知ってびっくり仰天。