エスキス 

夜が明ける前に目が覚めてしまい、布団の温みを冬の冷気に晒したままキッチンに行き、唸り声を上げるロートルの冷蔵庫からイオン・ウォーターを取り出してそのまま一口飲む。流し台から微かにコーヒーの香りが漂ってくる。前の晩に入れたコーヒー豆の滓が、フィルター・ペーパーといっしょにそのまま放置されていた。ほんの数時間前のことだ。フィルターにお湯を注ぎながら、無精な自分が家でこうやってコーヒーを入れるのはちょうど九年ぶりだと思い至り、焦げたような香りに導かれて記憶の路地をしばらくさ迷っていたのは。いま暗がりの中で、コーヒー豆の滓の冷たい香りが喚起するのは、九年前の思い出ではなく、記憶の路地をさ迷っていた数時間前の残像にすぎない。日々の残像は、それからどれくらい遠ざかれば思い出になるのだろうか。逆に思い出は、それにどれくらい近づけば残像になってくれるのだろうか。カーテンが仄かに明るい。ヴェランダに出て空を見上げた。

ぶるっときて思い出した。トイレに行こうとして起きたんだよ、おいら。うー、さむっ!