スミスのアニキ 

RWプレセミナーとシンポジウムがダイ成功裏に終わったのも束の間、27日(月)朝に投函しなければならない(かなり気を遣う)書類を完成させるべく、日曜の夜は徹夜。徹夜になってしまったのは、『アニキ・ボボ』(マヌエル・ド・オリヴェイラ、1942)を観るために、昼間いそいそと京橋のNFCまで出かけてしまったから。この機会を逃したら一生出会い損ない続けるような気がして無理して観に行ったのだけれど、観て本当によかった。(『アニキ・ボボ』については、id:el-sur さんのエントリーをどうぞ。この映画が喚起する「歓び」について伝えてくれる、それ自体「歓び」に満ちた文章です。学校のシーンでは、私も小津のサイレント映画を連想しました。)

RWシンポについては一言だけ。発表を聴いていてずっと思っていたのは、20世紀初頭のアイルランドのこと。より具体的に言えば、社会主義だけがアイルランドナショナリズムに解放的性格を与えることができる、そういう希望を(ある時期まで)抱いていたジョイスのことだ。しかし、アイルランド労働党の指導者ジェイムズ・コノリーがイースター蜂起(1916年)失敗のあと処刑されてしまうと、労働者の解放=民族の独立という大義は失われ、労働者階級による独立運動は(保守的カトリシズムへの傾斜が強い)ナショナリズムに依拠せざるを得なくなる。
このあたりのことについては、Colin MacCabe の James Joyce and the Revolution of the Word (1979) の最終章に詳しく書いてあったはずで、大昔に夢中で読んだ記憶がある(この本のそれ以外の部分は、いわゆる「ポスト構造主義」的な内容だったと思うが、最終章はすごく面白かった。)ダニエル・ウィリアムズさんが発表のなかでこのマッケイブの本に言及していたけど、この最終章についてはスルーしていた(リアリズムという問題を前景化していたためだろう)。
ダイ・スミスさんも打ち上げのパーティーアイルランドについてちらりと触れていて、英国を第一次世界大戦に導いてしまったロイド・ジョージ首相はウェールズ系だったが、当時アイリッシュでしかもカトリックだったら首相になるなんてありえないこと、と話されていた。
ウェールズアイルランドでは事情はだいぶ違うわけだが、shintak さんとダニエルさんとの(私的)会話についてあとで教えてもらって感じたように、社会主義ナショナリズムの共闘と対立という問題は、ウェールズでだけでなく、世界中のさまざまな場所で差異をはらみながらも浮上していて、じつは日本でも普天間問題などに関連して、社会党共産党のみなさんにとっては忌避し得ないはずの問題なのだけれど、明らかにみんなで見て見ぬふりをしているように思える。 
しかしウェールズ人って人なつっこくて面白いなぁ。一般化して言ってはいけないのだろうけど。特にダイ・スミスさんのキャラは圧倒的。パーティーのあと何人かでパブに流れて飲んでいたとき、ダイさんがしてくれたノーマン・メイラーに関する体験談(歴史家のダイさんらしく「実話」)は抱腹絶倒ものだった。一連のイヴェントの締めくくりとしても最高でした。

James Joyce and the Revolution of the Word (Language, Discourse, Society)

James Joyce and the Revolution of the Word (Language, Discourse, Society)