ゆえにブロガーは活動屋である

 昨日の土曜日、職場の労働組合の代表として東京私大教連第31回定期大会@早稲田大学に行ってきた。4時間に及ぶ大会で議題も盛りだくさんだったが、とりわけ印象深かったのは、湘南工科大学(理事長はあの糸山英太郎)で不当懲戒解雇などの権利侵害に対して16年にわたり闘ってきた組合が、神奈川県労働委員会において全面勝利の和解を勝ち取ったという報告だ。当該組合員の方が、16年間の苦労を滲ませた表情で「やっと一息つけるが、今後は権利侵害に苦しむ他大学の組合員のために力を尽くしたい」と言葉少なに語る挨拶を聞いていて、ウィリアムズのこと、大西巨人のこと、なんとかコミューンのことなど、様々な思いが脳裏を去来した。
私の職場の組合は東京私大教連に今年度から新規加盟したので、記念の旗を頂戴した。(写真は都合により旗の一部です。)新庄の手袋よりも赤いぞ。  

18時に会場を出て夜空を見上げると雨はやんでいた。晩秋の早稲田通りを歩きながら、こんなことを考えた。この日の私の活動は、まさしくアレントの言う意味での「活動action」だ。日頃の職場での雑務は「労働labor」に違いないが、では研究は何だろう。研究成果が「業績」と呼ばれ、その業績が昇格や転職に密接に関わっている以上、やはり「労働」か。もしそうだとすれば、教育研究や学会関係の仕事や学務にのみ従事している大学教員は、何の「活動」もしていない、理性を私的に用いているだけ、ということになるのだろうか。

いや、そう簡単に割り切って考えることはできないだろう、などと思いながらふと気づいたのだが、こうやってブログを書いていることは間違いなく「活動」だ。ゆえにブロガーは活動家である。いや、「活動家」という言葉の自己陶酔的な響きが気になるな。「活動屋」でどうだろう。松竹蒲田時代の映画監督みたいでいいじゃないか。ではやりなおし。ゆえにブロガーは活動屋である。