木漏れ日の帝国

ナボナはお菓子のホームラン王ですが、一橋大学東キャンパスの裏庭は木漏れ日の帝国です。
 
 
一昨日の「原子力と文学」ワークショップは、とても貴重な試み(アクション)だったとあらためて思う。改善すべき点はいろいろあるだろうが、それは企画者のみなさんが一番よくわかっていることだろう。
このワークショップに参加してくださった異分野の(文学文化研究でない)研究者の方々が「わからん」とつぶやいておられたそうだが、それを聞いて思ったのは、ルソーの言う「一般意志」と「全体意志」との違い。「個別意志」の総和である「全体意志」に対して、「個別意志」がそれぞれ対立し、その「違い」をすべて合わせたところに「一般意志」は成立する。だから、意見の違いが少なくなると、「一般意志」の一般性も低くなる。ルソーは、「一般意志」が確認されるのは人民集会の審議においてであると考えたが、このワークショップも(存在する水準はまったく異なるけれど)、ある意味人民集会的なところがあるのではないだろうか。だからいろいろな「違う」人たちが来て「違う」と言ってくれたほうがいいんじゃないかな。