a part of no part

以下告知です。

第21回新自由主義研究会
日時:2011年4月17日(日)16:00〜
場所:一橋大学国際研究館5F ゼミ室2
テクスト:Alan Badiou, "The Idea of Communism"
報告者:中山徹
延期していた、「近年のジジェクコミュニズム論」検証をします。メインのテクストはBadiouですが、副読本は最近のジジェク全部です。

Badiou のテクストは、↓の本の pp. 1-14 です。

The Idea of Communism

The Idea of Communism

  • 作者: Slavoj Zizek,Costas Douzinas,Alain Badiou,Judith Balso,Bruno Bosteels
  • 出版社/メーカー: Verso
  • 発売日: 2010/12/13
  • メディア: ペーパーバック
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副読本は「最近のジジェク全部」とありますが、前々回の研究会のとき、中山さんは↓の訳書が手頃でいいのではないかとおっしゃっていました。こういうときにご自分の訳したジジェク本を挙げない奥ゆかしさよ。範としたい。 このジジェク本の翻訳、読みやすくていいと思うのだけれど、何度も出てくるキーフレーズである “a part of no part” を「器官なき部位」と訳してしまったのはさすがにまずい。第一これではわけがわからない(百歩譲って「身体なき器官」ならまだましだと思う)。ランシエールからの借用であるこのフレーズを、近年のジジェクはよく使っていて、中山さんと私とで翻訳した『大義を忘れるな』では、「全体の一部ではない部分」と訳した。普通、部分(part)というのは全体(whole)の存在を前提としていて、部分と全体は包含(包摂)関係にある概念なのだが、”a part of no part” というのはそうした包含関係からはみ出てしまった部分のことをいっている。ジジェクの議論の流れが読めていればわかるはずなのだけれど・・・と言いながら、自分でも似たようなポカを気づかないままやっているのだろうな。