幽霊の話(続) 

「黒沢監督は確信犯だった。」といって済む話では本当はないのだが、いつもの悪い癖で面倒くさくなってやめてしまった。しかしそれではまずいと思ったので、少しだけ続きを。

例のカットがあるにもかかわらず小西真奈美が幽霊であることによって、他の登場人物は幽霊ではない、といえる根拠がなくなってしまうのだ。小西の場合はフィルムの展開によって幽霊であることが明かされたわけだが、他の人物の場合はたまたま最後まで幽霊であることが明かされなかっただけなのかもしれないのである。例えば役所の同僚の刑事(伊原剛志)。いくら真正の幽霊(葉月里緒奈)のせいだとはいえ、あのように洗面器の中に飛び込んでしまえるなんて、とても人間のできることではない。それから精神科医オダギリジョー)だって、あの希薄な、それでいて印象深い存在感は、いつでも重力の法則を無視できる余裕から生じているように思えてくる。殺人犯も被害者も共に幽霊で、役所以外のすべてが幽霊である可能性を誰も否定しきれないだろう。いや、役所だって自分が幽霊であることを忘れているだけかもしれないのだ。

先ほど紹介したインタヴューによれば、『叫』一瀬隆重プロデューサーが、「この東京がすべてあの世だったっていうのはどう?」と黒沢監督に提案していて、監督は「それ、わけわかりませんよ。」と退けたらしい。しかし黒沢監督は、例のカットを挿入しただけで、プロデューサーの案を解釈可能性として実現してしまっている。ただ一つのカットが、作品世界全体を「あの世」にしてしまう。「映画はおそろしい。」

映画はおそろしい

映画はおそろしい

ゴダール全評論・全発言〈1〉1950‐1967 (リュミエール叢書)

ゴダール全評論・全発言〈1〉1950‐1967 (リュミエール叢書)