梅雨明けの超越論的経験論


乗客のまばらな、冷房の効きすぎたバスが、昼下がりの交差点でエンジンをとめる。車窓から外を眺めると、夏の陽射しに嬲られるがままに、樹木が音もなく風に揺れながら光と影を街路に投げ散らかしている。ガラス窓の向こうに揺らめくこの光景は、〈美的理念〉という、概念なき直観によって創造された「別の自然」であり、この「別の自然に属する現象は真に精神的な出来事である。」とにかく「この〔別の〕自然は『考えさせる』。考えることを強いる」(ドゥルーズ、115頁)。 

ドゥルーズ『カントの批判哲学』を新訳で改めて読む。カントの『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』を、人間の諸能力(構想力、悟性、理性)の置換体系としてまとめ上げるドゥルーズの鋭利で剛力な筆致が圧倒的だ。

ドゥルーズによれば、カントの独創的な点の一つは、諸能力の本性上の違いを明視し、それら異質な諸能力が一致しながら作動する置換システムを考えたところにある。『純粋理性批判』では、認識(思弁的関心)において悟性が立法者となり、構想力と理性とを規定し判断を下す。『実践理性批判』では、欲求(実践的関心)において理性が立法者となり悟性と構想力とを規定し、感性的条件から独立した(物自体としての)理性的存在、つまり自らに対して道徳法則を与える(立法者と臣民の同一性)。このように、諸能力の一致は、そのうちの一つが他を規定し主導することによって起こる。しかし、こうした規定的一致は、そもそも未規定で自由な自発的一致が可能でなければ生じることはありえない。では、諸能力の自由で未規定的な一致はいかに可能となるのか。この問い答えるべく書かれたのが『判断力批判』である。だから『判断力批判』は、その美学の部分において先のニつの批判を補完するものではない、補完物と考えるのは大きな間違いだ、そうドゥルーズはいう。『判断力批判』の凄さは、先行する二つの批判の「試練」を経た後でなければわからない。このドゥルーズ本の新訳は、そのことを改めて教えてくれた。 

判断力批判』における諸能力の一致の「発生」について論じる件が、この本の白眉だとは思うのだけれど*1、今回読んでいて特に面白かったのは、たとえば『実践理性批判』における諸能力の関係が語られる際に、道徳法則の実現の問題が扱われているところ。感性界と超感性界は一つの裂け目によって隔てられているが、この裂け目は埋められるためにのみ存在する、とカント≒ドゥルーズはいう。つまり、カントのいう道徳法則は感性界において実現されるべく存在しているのだ、と。続いてドゥルーズはこう断言する。

われわれは、自然と自由に、感性的自然と超感性的自然に対応する二つの立法行為〔悟性によるものと理性によるもの〕、したがって二つの領域〔domaines〕が存在することを知っている。しかし、ただひとつの領土〔terrain〕、つまり経験という領土しか存在しないのである(83‐2頁、強調は引用者による)。

後年のドゥルーズにおける、経験的領野と超越論的領野との関係の複雑さが、すでにここに現れているように思える。上記の件が重要なのは、この本の最後で「実現réalisation」の問題が唐突に再登場し、〈歴史〉と結び付けられていることからもわかる。*2 ドゥルーズはこういっている。

自由を実現するのは自然ではない。自由の概念が、自然の中で実現され、現実のものとなるのである。感性界において自由と〈最高善〉とが現実のものとなるということは、したがって、人間に独自の総合的な活動〔une activité synthétique originale de l’home〕をそのうちに含んでいる。すなわち、〈歴史〉こそが、この現実化〔effectuation〕に他ならない(149頁)。

ただし、この「現実化」は〈理性〉が感性的自然を従属させ自らを実現する発展過程(ヘーゲル)ではない。感性的自然は、あくまでも「自らの諸法則に沿って」超感性的目的を実現しなければならない。こうした「実現」の場面、「ただひとつの、経験という領土」をドゥルーズは後に「内在平面」と呼ぶのだろう。ドゥルーズが生前に発表した最後のテクスト「内在――ひとつの生…」(1995年)でも触れられていた「超越論的経験論」の萌芽を、1963年に出版されたこのカント論に見ることができるかもしれない。
最後に、冒頭で言及した、あらゆる概念を超え出る〈美的理念〉について。カント≒ドゥルーズによれば、こうした〈美的理念〉は、〈理性的理念〉の中にある表現不可能なものを表現するものであり、象徴作用に近いとしている。しかしこれは、ベンヤミンを経由させアレゴリーと捉えるべきなのではないかと(秋のシンポを控えて)思う。ド・マンなら、ドゥルーズが三批判から取り出した「諸能力の置換システム」それ自体をアレゴリーと呼ぶだろうか。*3
また晴れた日にバスに乗って、窓の外の「別の自然」を眺めながら考えてみよう。

カントの批判哲学 (ちくま学芸文庫)

カントの批判哲学 (ちくま学芸文庫)

*1:この「発生」について手っ取り早く知りたい方は、「カントの美学における発生の観念」(ドゥルーズ無人島 1953−1968』所収)が便利だ、といいたいところだが、これはもともと高密度の件のドゥルーズ本をさらに圧縮したような論文で、私は最初読んだとき目が回った。

*2:訳者が解説で述べているように、後のドゥルーズが論じることのなかった「カントと歴史の問題」は注目に値する。ちなみに、この訳者解説は明快で有用だ。この本の理解にとってだけでなく、手軽な「ドゥルーズ入門」としても最適だと思う。

*3:ド・マンは「カントにおける現象性と物質性」において、人間の諸能力についてカントが記述しているのは「アレゴリー的なお話tale」だと述べている。