フレデリック・ワイズマン特集@アテネ

アテネのワイズマン特集で『病院』と『基礎訓練』。上映後の佐々木敦氏との対談における写真家ホンマタカシ氏の話も刺激的だった。シャッターを切る特権的瞬間やそれが帰属する作家性を強調することを従来から疑問視してきたホンマ氏は、ワイズマンの作家性を強調することにも懐疑的で、ワイズマン自身、(フレームの取り方などに作者としての美学的感性が出てしまうことはあるにせよ)意識的にそうした作家性を希薄にしていると言う。しかしここには、よく知られた「構造主義のパラドクス」がある。作品を構造分析してその作家性を解体する論者の文章自体、作家性が高く構造分析できないものになっている場合があるという例のパラドクスだ。ワイズマン自身が、自らの作家性を希薄化していることが事実だとしても、その作品の特異性はどう説明できるのか。ワイズマンがしばしば語っている「ワイズマン・メソッド」に従ってキャメラをまわせばワイズマンと同様の作品が撮れるのか。私が刺激的だと感じたのは、「とにかくワイズマンの方法に則って作品を撮ってみたい」とホンマ氏が語っていたこと。失敗するかもしれないが、そうした「実験」によって初めて、ワイズマンの否定しようのない作家性の出所(編集かフレーミングか被写体との関係か、等々)やその内実がより明瞭に理解できるようになるかもしれない。クリエーターだから言えることかもしれないけれど、論文だって実験していないものはつまらない、というのは私見です。