あいラブ健さん

別のところに書いたものとほとんど同じですが、ちょっとだけ加筆してこちらにも。

昨日はオーディトリウム渋谷で「木村栄文レトロスペクティヴ」から3本。噂に違わずどれも面白かった。特に素晴らしかったのは『あいラブ優ちゃん』(1976)。「知的障がい」を持つ愛娘に注がれた木村の視線の愛の深さに感じ入る。人は一人で生きているのではないという当たり前の事実が、これほどの幸福感をもって語られうるとは。苦海浄土(1970)には、土本典昭監督の水俣病シリーズでおなじみの患者さんの姿も見える。石牟礼道子の原作にも出てくる、発病して入院しているあいだにいつの間にか離婚されていた当時55歳の女性の、からだがよくなったら土方でも女中でも何でもして生きていくという語りが切ない。病気が治る見込みはたぶんないのだ。自分たちが映っているフィルムを見る患者さんたちの生き生きとした表情。『阿賀の記憶』(佐藤真、2004)での同様のシーンをふと思い出す。『むかし男ありけり』1984)では、高倉健が小説家檀一雄の晩年をたどる。檀の愛人だった(らしい)北九州の料亭の女将に健さんがインタヴューするシーンで、三味線をひき終えた女将がしばらく沈黙した後、強い口調で「なにか言ってよぅ」と迫る。すると健さんがうつむきがちに、「今日はわたしが話しをしにきたんじゃなくて、あなたの話しを聞きにきたんですから」とドスのきいた声で早口で言い返す。まさに東映やくざ映画。ドキュメンタリーの中のフィクション性が露わになった瞬間に震えた。
http://a-shibuya.jp/archives/2491