トウキョウコウエン


千葉方面で2コマのあと、(いつもなら横浜方面にとんぼ返りしてもう1コマあるのだけれど)今日は新宿で『東京公園』青山真治、2011)を見る。いい映画だな、と新作を見終わってからしみじみ思ったのは久しぶりかもしれない。それぞれがそれぞれの思いを抱えたり背負ったりしながら生きている、そうした日常に差し込む仄明るい光は、希望の光ではないし、何らかの救いをもたらす光でもない。光が降りそそぐ「公園」はまた翳りの空間でもある。そうした光と影の日常のなかをゆっくりと歩いて行くこと自体が喜びであり、この喜びが、写真家志望の主人公のカメラ(とこの映画の撮影カメラ)を通して人と人との関係をゆっくりと変えていく。大震災前に完成していたフィルムだけれど、私は「大震災後」の映画として見てしまった*1三浦春馬のカメラを通した視線によって取り乱す小西真奈美がとりわけ素晴らしい。ミディアムショットで、三浦春馬の斜め背後から、小西真奈美の顔半分だけ見せてカット割りせずにじっくり撮られたキスシーンの緊張感はめったに味わえない。

*1:〈追記〉『東京公園』を見た翌日15日、青山真治蓮實重彦の対談(『群像』2011年7月号)を読んで、この映画の音に関する最終的なチェックを大震災後にやっていたことを知った。