「そういう人が少しはおられるのが街というものではないでしょうか」

『生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言』(森崎東、1985)を見た人なら、原発で危険に身を曝しながら働かざるを得ない最底辺の下請け労働者たちを他人とは思えないだろうし、各地の原発を渡り歩くそうした労働者たちが或る差別語で呼ばれていることも知っているだろう。こんなときだからこそ、久しぶりにこの映画を見たいと思ったのだけれど、この傑作がDVD化されていないと知って憤る。(amazon.co.jp で中古VHSが出品されているけど。誰か買って私に貸してください。)これはやはり(amazon のカスタマー・レヴューで言われているように)原発関連団体の圧力のせいなのか。エンディングでライフルを構える賠償美津子の深く倫理的な姿を思い出すだけで泣けてくる。

生きてるうちが花なのよ 死んだらそれまでよ党宣言【DVD】

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泣けてくるといえば、こういうときに『ありがとう』(万田邦敏、2006)見ればティッシュひと箱を空にしてしまうことはわかっているのに、気づいたら棚からDVDを引っ張り出していた。
ありがとう [DVD]

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今回見直して愕然としたのは、阪神淡路大震災で特に被害の大きかった神戸市長田区の住民が、「災害に強い街づくり」という名目の下、みずから進んで「区画整理」というネオリベ政策へ巻き込まれていくところ。この動きを、非当事者である私がしたり顔で批判することはできない。被災者にとっては、同じことを繰り返したくないという思いは強いだろうから。しかし、「復興」=「ネオリベ(自立、自由競争、弱者の排除)」という結びつきは必然的なものではないだろう。精神科医中井久夫氏は、阪神大震災の渦中で医療活動に尽力した経験とその省察を綴った「災害がほんとうに襲った時」(こちらで読めます)で、神戸の復興についてこう書いている。

この焼失は、都市計画者には地域をビューティフルな街に一新する絶好の機会であろう。彼ら〔ホームレス:引用者注〕のための住宅を辺地に置こうという声が聞こえなくもない。しかし神戸のホームレスは市民との間に暗黙の交感がある。働かない者を排除する気風はない。かつてある盛り場の「ホームレスを取り締まれ」という投書に対して「そういう人が少しはおられるのが街というものではないでしょうか」という市側の返事を新聞か広報で読んで感嘆したことがある。10年前のことであるが、このスピリットが行政に今も生きていてほしい。

この点について、神戸がその後どうなったのか私は知らない。事が起きたときの社会状況や災害の規模・内容に関して、1995年の大震災とはさまざまに異なる今回の3.11大震災についても、私はまだ「地震酔い」の最中なのでまとまったことが考えられない。『生きてるうちが花・・・』を思い出したり、『ありがとう』を見たりすることしかできない。

birds of a feather

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好きな tape と minamo のコラボ『birds of a feather』を聴いていて、少し元気になったような気がする。