2010年新作映画・極私的ベスト5 

今年日本で公開された新作映画のごくごく一部しか見ていないので、以下のベスト5は個人的なメモ程度の意味しかありません。
1.『ゴダール・ソシアリスム』(ジャン=リュック・ゴダール) 2.『トスカーナの贋作』(アッバス・キアロスタミ) 3.『キック・アス』(マシュー・ヴォーン) 4.『シルビアのいる街で』(ホセ・ルイス・ゲリン) 5.『ナイト・アンド・デイ』(ジェームズ・マンゴールド
ゴダール・ソシアリスム』は他の映画と比較しえないフィルムだと思うのでベスト5に入れるかどうか迷ったが、原父のような例外的地位にゴダールを祭り上げてしまうのはよくないと考えて1位に。2011年は『ゴダール・ソシアリスム』の再見から始めたい。トスカーナの贋作こちら)は第11回東京フィルメックスで見た。ギャラリーを経営する女性(ジュリエット・ビノシュ)とイギリス人作家(ウィリアム・シメル)とは、夫婦なのかそれともいつのまにか夫婦を演じるようになった他人同士、あるいは愛人同士なのか。上映後の質疑応答の時間にキアロスタミ監督がしてくれた話によれば、役を演じている二人の俳優からも撮影時に同じ質問をされたが、それは自分にもわからないと答えたとのこと。私の考えでは、二人の真の(「贋作」ではない)関係を問うこと自体、この映画を見ることに反している。この映画が示しているのは、どういう関係にあるのかわからない役柄を演じる二人の俳優の演技そのものであり、もっといえば、演じている俳優の剥き出しになった匿名的存在そのものではないだろうか。フィクションであろうとドキュメンタリーであろうと、映画は、現実の「贋作」である。しかしその「贋作」において、現実が覆っていた存在そのものが剥き出しにされることが(ごくまれに)ある。これはすごいことだ。すごいといえばビノシュもすごい。トスカーナのレストランでの、二人のバストショットの小津的切り返しもすばらしい。あいまいないい方になってしまうけれど、並んで鳴る二つの鐘にも参った。(上でご案内した作品HPにもあるとおり、『トスカーナの贋作』は2月19日より渋谷ユーロスペース他で全国公開されます。)

キック・アスこちら)には大いに笑いかつ泣かされた。もちろん、泣いてすっきりして終わり、というだけの映画ではまったくない。私にとって最も面白かったのは、この映画が「フェチの倫理」を体現しているように思えたところだ。「ヒーロー」のキック・アス(アーロン・ジョンソン)、ヒット・ガール(クロエ・グレース・モレッツ)、ビッグ・ダディ(ニコラス・ケイジ)らを倫理的行為に駆り立てるのは、正義感(内面化された超越的道徳規範)や復讐心(暴力の連鎖を生み出す情動)や恩返し(負債の返済)だけではない。アメコミ・フェチ、コスプレ・フェチ、銃器フェチ、ナイフ・フェチといったフェチに対する愛着も倫理的行為の大きな要因となっている。*1 たとえば、ビック・ダディたちのアジトの壁に飾られた数々の銃器。実用的な道具としてのみ銃器を見ているなら、わざわざ壁に飾ることはないだろう。それから、高額な銃器をヒット・ガールにねだられて最初は買い渋っていたビッグ・ダディが、PC画面でその銃器の映像を見たとたんにそれに魅入られて購入を決めたときの恍惚とした表情。フェチを日常的に享楽することによって、日常を突き破る行為にいつのまにか導かれる。エンディングの日常の描写がまたすばらしい。
眠くなってきたのでこのへんで。他に印象にのこった新作映画は、『アウトレイジ』(北野武)、『ゲスト』(ホセ・ルイス・ゲリン)、『華麗なるアリバイ』(パスカル・ボニゼール)、『アリス・イン・ワンダーランド』(ティム・バートン)、『ブンミおじさんの森』(アピチャッポン・ウィーラセタクン)など。めずらしく悪口をいいたくなった映画が1本あったけれど、もうどうでもいいです。
それではみなさま、よいお年を。

*1:ここでいう「フェチ」とは、アメコミ等の対象に入れ込んでいる自分に対する距離を保っているという意味で、そうした距離感の希薄な「フェティシズム」と区別される。